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執筆者

荒海 理恵

公立中高一貫校受検記述指導主任

先日、リコーダーを吹く機会がありました。小学生のころ以来です。

リコーダーは得意なほうではありませんでした。

しかし大人になってやってみると、意外と指使いを覚えていましたし、思ったよりも上手に吹けたように思います。

思えば子供の頃は、指が短くて穴をおさえるのに苦労しました。

その指の動かし方も今とくらべるとずいぶん不器用で、思い通りに動かなくていらいらしていました。

また息も長く続かなくて、音も弱弱しかったです。

子供のころは下手でも仕方なかったんだろうなと思えました。

 

子供が苦手なことのひとつに、「漢字をきれいに書く」ことがあります。

一般的に字がきたないことは、その子の「欠点」であるかのように言われますが、

三年生を教えていると、字がきれいではない子のほうが圧倒的に多いです。

つまり、字がきれいなことは「美点」ですが、きたないことは「欠点」ではないのだと思います。

ただ、字はきれいになってほしい。なってもらわないとこまる。

 

都立中高一貫校の入試では、文を書くことがとても多いです。

きれいな字であることは望ましいですが、むしろ書くスピードのほうが大切です。

時間内にひとつでも多くの問題を解くことが大切なのはもちろんですが、

自分の思考スピードに対して書く速度が遅いとミスが増えるからです。

では、スピードさえあれば字がきたなくてもいいかというとそうでもなくて、

スピードがある子は字もきれいなことが多いです。

「きれい」ということは、無駄がないということです。「きたない」ということは無駄が多いということです。

だから、字がきれいな子は、書くのも速いのだと思います。

 

だから「字をきれいに」とか「きれいじゃなくてもいいから、まずはていねいに」と何度も言うのですが、たいてい聞いてくれません。

なぜなのか?

たぶん、きたないと思っていないからです。「これでも読めるはずだ」と思っているからです。

自分は「す」と書いた「つもり」なのだから、読めるはずなのだ、と。

とくに大人に対しては、そういう気持ちになりやすいのかもしれません。

「大人なんだから、わかってよ」

そして実際、大人は読めるわけです。

 

でも、「きたない」と自覚してもらわないと、上手にはなりません。

 

先日、塾で書いた作文を生徒同士で交換させ、感想を書き合ってもらいました。

そのとき、「字をもっときれいに書けるといいね」というコメントをもらった子がいました。

ふだん私が何を言っても聞いてくれなかったのですが、そのコメントを読んだあと、原稿用紙の余白に何度か字の練習をしていました。

大人ではなく、自分と同じ立場の人に見てもらうことは大事なのだなと思いました。

 

自分の書いたものを人に見せることに抵抗感をなくすこと。

それが小学3年生のうちにできれば、その先の勉強もうまく進められるはずです。

 

リコーダーの練習も、クラスみんなで一斉にやるのではなくクラスメイトと1対1でやったら、もうちょっとうまくなったのかもしれないなと思いました。

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